−R5− 世の中を歩き回るブログ

頭を使って歩こう。朝まで歩こう。5年後の自分に向けた備忘録。

デブへのレクイエム。デブイエム。

 

仕事を終わらせずに、

仕事のことでゲロを吐きそうになる。

 

そんな気分で月曜日は出社する。

だったら、初めから全て終わらせてから休みに入ればいいのに、

なかなかそれは現実的でない。

 

きっと、業務量云々というよりも、

自分自身の精神的弱さというか、まあいっか精神で休みに入っていく。

 

ところで、これはダイエットにも通じる。

運動でも、食事制限でも、なんでもいいけどダイエットは、

やり遂げられる人と、やり遂げられない人がいる。

 

標数値の大小ではなく、

その目標に対してコンスタントに向き合うことができて、

ストイックに自分を追い込める人。

それがダイエットを成功させることができる人。

 

でも、ダイエットをやり遂げられない人はそれができない。

美味しいご飯を前に、お腹減ってるし、まあいっかとご飯を食べる。

毎日の運動をタスクに掲げているのに、

雨だし、寒いし、まあいっかとゴロゴロする。

 

きっと仕事をこなせる人と、ダイエットを完遂できる人には共通点がある。

そして、仕事ができない人と、ダイエットができない人にも共通点がある。

 

だから、デブに仕事は頼むな。

デブに期限を設定した依頼や、クオリティを担保すべき業務をお願いしてはいけない。

 

なぜなら、デブは甘えん坊だから。

自分に、人に、人生に対して甘えん坊だから。

 

マシュマロボディとか、わがままボディとかという言葉が巷に溢れている。

本当に、クソ食らえだ。

 

デブは自己防衛と、自己正当化が大好きだ。

言い訳を目の前に差し出せば、醜い体を揺らしながら喜んでそれに依存する。

 

アメリカでは、「デブ=仕事ができない」。

そんな烙印を押されてしまう。

自己管理ができないことが理由らしいが、

本当はもっと本質的なところにあるはずだと思う。

仕事の管理、会社の管理ができないことももちろんデブが敬遠される理由だけど、

何よりも「甘さ」こそ、最大の要因だと思う。

 

もちろん、これはアメリカに限った話ではない。

日本でも、デブを嫌う企業は少なくない。

特に営業職を採用している企業は、デブは採用しない。

逆に言うと、デブの営業職、

あるいは入社後デブになった営業職を平然と野放しにしている企業も、

同じくらい自分たちに甘いのだ。

 

その甘さは結果的に他に矛先が向き、いつかは損害へとつながる。

 

じゃあ、どうすればいいのか。

そんなものはわかりきっている。

痩せればいい。仕事に対してストイックになればいい。

設定した目標に対して、どこまでもストイックになればいい。

そんなことも分からないから、デブはデブのままだし、

仕事ができない奴は仕事ができないままなのだ。

 

という冗談は置いておいて、

現実的に将来性のある話をしようと思う。

でも、あくまでも一意見として。

なぜなら、仕事ができないことを棚に上げて、

デブであることも棚に上げて、

つらつらと長いことを書いている人にろくな人はいないのだから。

 

簡単に言えば、デブも、仕事ができない人間も、その原因は自分に対する甘さにある。

精神論や根性論ではなく、目標に対する達成意欲が極端に他人よりも低い。

言い換えれば、そこさえ改善できればデブを脱却し、

仕事ができない人間という汚名も返上できるはずじゃなかろうか。

 

目標という考えを捨てる。

目標という言葉が諸悪の根源となる。

特に自分に甘いクソ野郎たちにとっては。

目標とは、努力義務であり、達成可能なゴールのようなものである。

つまり、MUST条件ではなくWANT条件にすぎない。

なら、WANT条件を無理やり作り出すしかない。

 

例えば①有言実行。

周りに目標を公言する。周りに監視役になってもらう。

もちろん罰則はあったほうがいい。

この目標ができなかったらみんなにランチをおごるなど。

痛いけど、非現実的でない罰則を設けて、達成意欲を駆り立てる。

 

例えば②成功体験を重ねる。

常人がかろうじて達成できる目標は、たいていデブには達成できない。

自分への甘やかしが尋常じゃないから。

そのため、自分に甘いデブでも達成可能な小さな目標立てる→達成を繰り返し、

目標を達成した時に得られる満足感、高揚感を体に覚えさせる。

そして、目標へのストイックな向き合い方を訓練する。

 

例えば③物理的に環境を変える。

断食道場、肥満科、胃縮小手術など、

物理的に自分の周りの環境、ひいては自分自身を変えてしまう。

 

実行難易度は上から順に難しくなる。

なぜなら③を実行できる人間はたいてい自分に厳しくできるから。

 

それでも、ここまで読んで、さあ動き出そう。

気持ちが感化された、これから心新たに頑張ろうと思えたなら、

きっとチャンスはある。

 

なんてことはまるでない。

デブは擬似達成感を味わうのが一番得意だから。

これを読んで、なんだか自分の気持ちが入れ替わったような気がして、

満足する。

きっと、明日から頭の片隅には入っていたとしても、

何も変わらない。

断言してもいいけど、何も変わらない。

どうせデブは見ず知らずの人間の説教じみた講釈を読んだところで、

何も感化されないし、心はおろか体も動かされない。

デブは、結局のところ、デブのままなのだ。

デブがダイエットに成功した時、そこにいるのは元デブではない。

人として生まれ変わった、新たな人間に違いない。

だから、デブがこれを読んで明日から頑張ろう、などどほざいている時点で、

周りの生まれ変わった人間よりも10歩も20歩も遅れている。

 

それに気づかないなら、それでいいし。

気づいてもまあ、いっかと思っているならそれでもいい。

裸になって自分の写真を撮ってみろ。

その姿を凝視して、誰かに送ってみろ。

それができないなら、今変われ。

手に持っているスナック菓子をゴミ箱にぶちまけ、

ストックしてあるカロリーの塊を投げ捨て、

両手でつかんでもあまりあるほどの贅肉に舌打ちをして、

外に走りに行くのだ。

雨だろうが、寒かろうが、外に走りに行くのだ。

その一歩をこの瞬間踏み出せたなら、

明日からも踏み出せるはず。

 

デブよ、今までの自分を見返すのだ。

人生を、もう一度走るのだ。