コピーライター「ヤジー」の話。
これは、たった一人のコピーライターが、ある営業の仕事観を変えた話だ。
営業の先輩が3年目のころだった。
まだ入社して数年しかたっておらず、バリバリの営業志向だった先輩は、クリエイティブのことを下に見ていた。多くの広告会社がそうであるように、僕の会社もクリエイティブと営業の仲が悪かったのも原因かもしれない。
そんな先輩が、初めてクリエイティブの仕事をすることになった3年目。クリエイターとプロジェクトチームを組み、その中にいたのがコピーライターの「ヤジー」だ。
ヤジーは中途でうちに入社してきて、コピーライターとして広告制作にあたっていた。
一方で先輩はプロパー。なんとなくだけど、仲間じゃない気がしていた。
それでも、広告制作をするのはコピーライターやデザイナーだ。営業である以上、彼らと一緒に仕事をしていくしかない。年次で言えばヤジーのほうが先輩だったし、おとなしく営業としての役割を全うしていた。
僕の会社は、広告を作るとなると大抵取材からスタートする。企業や商品、サービスの魅力を、その企業の人から直接聞きだすのだ。多くの場合、コピーライターが取材に同席し、時には取材自体も主体的に進めていく。
今回も同じ進め方で進んでいく。運よく社長にも取材をすることができた。社長のほかにも、社員さんに話を聞いていき、トータルの取材メモはおそらく数十枚にも上っているはずだ。
その中から魅力を見つけだし、ターゲットに響くような言い方でアウトプットしていくのだ。
プロジェクトが進んでいき、コピーの初稿アップの日。ヤジーからコピーが届いた。いくつかの案の中で、ひときわ目立つコピーがあった。先輩は驚いたそうだ。まさか、こんなコピーを先方に提案するんですか?って。
詳しいことはここにかけないけど、簡単に言えば企業や仕事・サービス・商品とは何一つ関係ないコピーだった。しかも、切り口も全くこれまでの広告っぽくない切り口。
さすがの先輩も、焦った。
「これ、大丈夫ですか?マジでこれ、出すんですか?」
それもそうだった。そのコピーが生まれたのは、A4数十枚の取材メモの中で、社長がたった一言だけしゃべったことからインスピレーションを受けたものだったから。たった1行にも満たないその取材から、ヤジーはコピーを1案作ってきた。
「社長もっといいこと言ってましたよね?別の案考えたほうがよくないですか?」
それでもヤジーは、かたくなにこの案を外そうとしない。
「絶対にこの案が一番いいから。必ず先方にも伝わるはずだからプレゼン頼む」
何度もこのやり取りをして、先輩も折れた。この案を持っていくことにした。
プレゼン当日。
朝一のアポにむけ、都内から2時間以上をかけて先方の本社がある群馬県のある駅に向かった。都内の企業とは違い、最寄り駅からも徒歩30分以上かかる場所のオフィスがある。タクシーも使って本社についたとき、そこにはヤジーが立っていた。
「何やってるんですかヤジーさん。どうしたんですか」
ヤジーは先輩をまっすぐ見ながら、プレゼンに同席したいとお願いしたそうだ。
「やっぱり、あの案を絶対通したい。だから、俺もプレに行かせてくれ」
もちろん交通費は出ない。全部自腹だ。しかも、プレは朝9時から。どれだけ遅くても、朝6時には家を出なければここに立ってはいられない。
プレは、無事にうまくいった。あの案は見せた瞬間にOKが出た。社長が即決で通したのだ。だから、言ってしまえばヤジーはいてもいなくても変わらなかった。コピーと企画だけで勝利をつかめるほど、素晴らしいものだったから。それでもヤジーはきた。1万円以上かけて、前日も夜遅くまで残業をしていたにもかかわらず、ヤジーはきた。そして、自分の案の魅力を最大限伝えるためにプレに同席した。
それ以来、先輩はクリエイティブへの見方が変わった。クリエイターを尊敬し、チームの一員としてともに協力しあうことを覚えた。先輩はその後も多くの広告制作に携わり、部長を任せられるほど出世した。これは、たった一人のコピーライターが、ある営業の仕事観を変えた話だ。
あのとき生まれたコピーは、その年の広告賞を受賞した。