−R5− 世の中を歩き回るブログ

頭を使って歩こう。朝まで歩こう。5年後の自分に向けた備忘録。

コピーライター「ヤジー」の話。

これは、たった一人のコピーライターが、ある営業の仕事観を変えた話だ。

営業の先輩が3年目のころだった。

 

まだ入社して数年しかたっておらず、バリバリの営業志向だった先輩は、クリエイティブのことを下に見ていた。多くの広告会社がそうであるように、僕の会社もクリエイティブと営業の仲が悪かったのも原因かもしれない。

 

そんな先輩が、初めてクリエイティブの仕事をすることになった3年目。クリエイターとプロジェクトチームを組み、その中にいたのがコピーライターの「ヤジー」だ。

ジーは中途でうちに入社してきて、コピーライターとして広告制作にあたっていた。

一方で先輩はプロパー。なんとなくだけど、仲間じゃない気がしていた。

それでも、広告制作をするのはコピーライターやデザイナーだ。営業である以上、彼らと一緒に仕事をしていくしかない。年次で言えばヤジーのほうが先輩だったし、おとなしく営業としての役割を全うしていた。

 

僕の会社は、広告を作るとなると大抵取材からスタートする。企業や商品、サービスの魅力を、その企業の人から直接聞きだすのだ。多くの場合、コピーライターが取材に同席し、時には取材自体も主体的に進めていく。

今回も同じ進め方で進んでいく。運よく社長にも取材をすることができた。社長のほかにも、社員さんに話を聞いていき、トータルの取材メモはおそらく数十枚にも上っているはずだ。

その中から魅力を見つけだし、ターゲットに響くような言い方でアウトプットしていくのだ。

 

プロジェクトが進んでいき、コピーの初稿アップの日。ヤジーからコピーが届いた。いくつかの案の中で、ひときわ目立つコピーがあった。先輩は驚いたそうだ。まさか、こんなコピーを先方に提案するんですか?って。

詳しいことはここにかけないけど、簡単に言えば企業や仕事・サービス・商品とは何一つ関係ないコピーだった。しかも、切り口も全くこれまでの広告っぽくない切り口。

 

さすがの先輩も、焦った。

「これ、大丈夫ですか?マジでこれ、出すんですか?」

それもそうだった。そのコピーが生まれたのは、A4数十枚の取材メモの中で、社長がたった一言だけしゃべったことからインスピレーションを受けたものだったから。たった1行にも満たないその取材から、ヤジーはコピーを1案作ってきた。

「社長もっといいこと言ってましたよね?別の案考えたほうがよくないですか?」

それでもヤジーは、かたくなにこの案を外そうとしない。

「絶対にこの案が一番いいから。必ず先方にも伝わるはずだからプレゼン頼む」

何度もこのやり取りをして、先輩も折れた。この案を持っていくことにした。

 

プレゼン当日。

朝一のアポにむけ、都内から2時間以上をかけて先方の本社がある群馬県のある駅に向かった。都内の企業とは違い、最寄り駅からも徒歩30分以上かかる場所のオフィスがある。タクシーも使って本社についたとき、そこにはヤジーが立っていた。

「何やってるんですかヤジーさん。どうしたんですか」

ジーは先輩をまっすぐ見ながら、プレゼンに同席したいとお願いしたそうだ。

「やっぱり、あの案を絶対通したい。だから、俺もプレに行かせてくれ」

もちろん交通費は出ない。全部自腹だ。しかも、プレは朝9時から。どれだけ遅くても、朝6時には家を出なければここに立ってはいられない。

 

プレは、無事にうまくいった。あの案は見せた瞬間にOKが出た。社長が即決で通したのだ。だから、言ってしまえばヤジーはいてもいなくても変わらなかった。コピーと企画だけで勝利をつかめるほど、素晴らしいものだったから。それでもヤジーはきた。1万円以上かけて、前日も夜遅くまで残業をしていたにもかかわらず、ヤジーはきた。そして、自分の案の魅力を最大限伝えるためにプレに同席した。

 

それ以来、先輩はクリエイティブへの見方が変わった。クリエイターを尊敬し、チームの一員としてともに協力しあうことを覚えた。先輩はその後も多くの広告制作に携わり、部長を任せられるほど出世した。これは、たった一人のコピーライターが、ある営業の仕事観を変えた話だ。

 

あのとき生まれたコピーは、その年の広告賞を受賞した。

 

2019年は、365本の記事を書くとさっき決めた。

本当は、おとといくらいに決めた。

だからこの時点で、2本分の記事をロスしていることになる。

だけど、遅すぎるということはないと思う。

 

2019年は、いろいろな意味で人生の節目だな、と感じます。

仕事面でも、プライベートでも。

といいつつ、そこまでプライベートで大きな節目があるのかはまだわからないけど。

 

とにかく、節目の年だし。

そして何か新しいことをはじめ、生み、変えていく年にしようと思います。

 

だから、今年は自分の中でルーティンをいくつか決めました。

朝は何時に起きるとか、どれだけ面倒でもこれはするとか、

週3回は筋トレをするとか。

 

その中の一つが「毎日ブログを書く」だった。

ただ、気づいた。

現実的にそれは厳しい。ぶっちゃけ1月も終わりに近づいているのに、

まだ1本も書いていないし厳しい。

それならルールを少し変えてしまおう。

そんなこんなでブログに関する目標は「1年で365本の記事を書く」にした。

 

短くても、内容がなくてもいい。

だけど、何も考えない、はなし。

そんな自分ルールも課しながら。

 

さて、1年後僕は、どんなことを書いて2019年を締めくくるのか。

今からちょっと楽しみです。

広告賞に落選した。

なんだろう、昔に比べてブログを書くことがすごく少なくなった。

前は週に1回くらいはいろんなことを考えて、

長ったらしい文章を書いていたのに。

 

昔に比べて考えることが少なくなったんだろうか。

そんなことはないと思う。

 

じゃあ、前よりも考えを表に出さなくなったんだろうか。

それはあるかもしれない。

 

今日は、ある出来事が起きた。

 

ある広告賞に出品していたんだけど、

見事に選ばれずに、落選の結果をもらった。

(正確には連絡すらもらえず、結果公表で選ばれていないことを知った)

 

実はこの広告賞に応募するときに、

あんまり期待していなかった。

 

いや、期待していないというと嘘になる。

期待している自分がいるのが恥ずかしくて、

なんともない顔をして応募していた。

 

でも、正直いくつかの広告は賞を取るんじゃないかと思っていたし、

すくなくともこの広告は何かしらの賞を取るだろうと期待していたモノもあった。

 

だけど、なんとなくそうやって期待するのはむずむずして、

いつの間にか目の前の仕事に忙殺されていて、

今日になっていた。

 

そして、落選を知ったとき、

僕はものすごく悔しくなった。

 

自分でも驚くくらい落ち込んだし、

悔しさがこみ上げてきて、思わず会社のトイレにこもってしまった。

涙こそ出なかったけど、なんとなく仕事に手がつかないし、

あーもう今日は帰りたいな、とさえ思っていた。

 

正直、とまどった。

そもそも、こんなに期待していたんだという自分への驚き。

そして、こんなに悔しいんだと思ったことに驚き、

なによりもここまで悔しいと思えたのは何年ぶりなんだろうと、

前のことさえも思い出せないくらい悔しさをかみしめる仕事をしていなかったことに、

すごく、驚いた。

 

たぶん、今日と同じくらい悔しい思いをしたのは、

コピーライターを志していたのに、

実力がなくて営業として入社した1年目の終わりだ。

 

その日僕は、上司と一緒にアポに行った。

いつものようにくそみたいな営業にもなっていないオナニーをして、

営業ってつまんねーなって想いながら会社までの道を歩いていた。

 

そのとき、上司がファミレスに行こうと言って、

近くのデニーズに入った。

 

何の話を最初にしていたか覚えていないんだけど、

これだけは何年たった今でも鮮明に覚えている。

 

「おまえ、マジでやばい状況だよ。このままだと、会社に残れるかも怪しい。

 おまえのタイプ的に、うちみたいな無形商材よりも、有形商材の方が向いているんじゃないか。転職、考えないか」

 

この瞬間、頭が真っ白になった。

ああ、これは退職勧告だ。

遠回しにおまえはやめろといわれている。

 

すごく傲慢な言い方をすると、

入社するまでは非常に自信があったし、営業なんかしたことないけど3ヶ月くらいあればすぐ売れるようになるんだろうなって思っていた。

現に最初の1ヶ月は同期の中で誰よりもアポを取っていたし、

このまま営業をちゃちゃっと終わらせて、早くクリエイティブに異動使用くらいの気持ちだった。

 

つまり、腰掛けの気持ちで営業をしていた。

 

でも、そんなスタンスじゃ芽は出ないし、

もともと営業なんかしたくないのにやらされている気持ちの方が強くて、

日に日に、腐っていった。

 

もちろん僕自身に腐っていったという自覚なんかあるわけがない。

そんな物持ち合わせていたら、とっくに危機感を持ってもっと真剣に営業に取り組んでいたと思う。

やばい状況になっていることに気づかず、

周りから白い目で見られていることなん全く知らず、

僕は斜に構え続けていたし、営業ってくそだなって毎日思っていた。

 

売れないし、つまんねーし、なんでテレアポさせられてるんだよ。

俺はコピーライターの実力があるんだから、さっさと異動させろよ、

見る目ねえ会社だなって。

 

で、さっきの上司の言葉だ。

 

入社して1年がたつ頃、真剣にやめようか考えた。

だって僕の実力に気づかない会社にいても意味がないし、

それをすくい上げようとする気がないところでは、僕の実力がつかないまま無駄な人生を送らされてしまう、と。

本気で、真剣にそう考えていた。

 

でも、やめなかった。

だって、そんなこと言われて素直にやめたら、

すごくかっこわるいんだもん。

 

これはまた別の機会に話そうと思うんだけど、

僕の原動力はかっこいいかどうか、だ。

 

だから、そんなこと言われて逃げ出すかっこわるいやつになりたくなかったし、

クソむかついたからやめなかった。

でも、簡単には人間は変わらない。

だから1年目が終わるまで、結局クソみたいな人間だった。

 

それでも、この衝撃的な出来事は少なからず僕に影響を与えた。

2年目になってからはクソなりにがんばった。

1年サボってた人間がいきなり売れる、みたいな映画のような話はないけど、

それでも少しずつ売り上げがたつようになってきた。

 

会社で一番クセがあるとも言われてる新しい上司のもとで、

営業と顧客との向き合い方も学ばせてもらった。

 

その結果、どうなったかというと、

2年目の最後の最後までまあまあがんばったけど、

自分の課せられたノルマ(予算)は達成できなかった。

 

できなかったけど、3年目からコピーライターになった。

 

どこを見られていたかわからないけど、何とか異動することが出来たのだ。

 

そしていま、僕はコピーライターとして、

ある程度経験を積んで、どの案件もメイン担当として持つことが出来る。

クリエイティブディレクションまで含めて担当することも多く、

まあ、いわゆる「こなせる」ようになってきた。

 

どんな流れで案件が進んでいくかわかるし、どんな仕事が必要かもだいたい把握している。

後輩が相談に来れば、だいたいのことには応えてあげられる。

 

でも、それで止まっていた。

仕事としてコピーライターの案件を持つようになり、

広告の仕事にクリエイティブ側から携われるようになって、

なんかぬるま湯につかったように毎日を過ごしていたのかもしれない。

 

だから、今日の落選でものすごく悔しくなって、

クソみたいに落ち込んだなんて久しぶりすぎて驚いた。

こんなになるまで仕事に熱を持っていたことさえ、

はるか昔のことだったから。

 

それでも、今日悔しさを知ったのは、

大きな発見だった。

 

だって、悔しいんだもん。

悔しいってことは、これで満足していないってことでしょ。

もっと上を目指してるってことだ。

そんなん忘れていたけど。

 

最近の自分を振り返るとある程度の高さまできて、

そこの踊り場にとどまることで満足してたけど、

それじゃもう満足できないって知った。

 

だから、また走り出そうと思う。

 僕は、コピーライターなんだから。

 

共感を生む発信とは、ビッグフットの足跡を作る行為ではない。

成長について、思うことがある。

過去の自分を振り返って見て、どんな感想を持つことができたら、

今の自分は成長してると言えるんだろう。

 

ブログって、

そういう意味だとすごく客観性を持って過去を振り返れるツールだなと思う。

その当時、自分が考えたこととか、思ったこととかを文章にしていることで、

今の自分と究極的に第三者視点で比較できるから。

 

もちろん、昔の日記を見返すのが恥ずかしいように、

過去のブログを見返すのってすごく勇気がいるんだけど。

 

僕は、7年前から続けているブログがある。

不定期に写真を載せたり、文章を書いたりしているブログがある。

 

頻度も毎日更新することもあれば、

数ヶ月に一回くらいしか更新しないこともある、すごく適当なブログなんだけど、

それでも7年間やめないで続けてきた。

 

 

 

最近、ブログに限らず、色々なところで普通の人が発信者になる場面が増えたと思う。

SNSが身近になって、クラウドソーシングも発達して、

プロもアマも関係なくなって、誰でも世の中の人に支持される環境ができた。

 

人間って基本的には「認められる」ことに対して、

ポジティブな感情を抱く生き物だから、そうした環境の変化で、

多くの人がフォロワーからリーダーになるチャンスを活かそうとしている。

 

だって、インスタやツイッターには、芸能人でも有名人でもないのに、

フォロワーが10万人以上いる人がわんさかいるんだもん。

自分の投稿一つに、何千のいいねがつく感覚って、

この時代にならないと絶対に味わえなかった感覚なのに。

それが、今はできるようになっている。

 

だから、多くの人がそこを目標にしている。

インスタバエとか揶揄されているけど、

どれだけインスタ映えするものを投稿して、

どれだけいいねもらえるか。

どれだけ共感を生むツイートをポストして、

どれだけリツイートされるのか。

そこに焦点があたるのは仕方ないんだと思う。

それって、ある種の射幸心のあらわれだから。

 

だけど、そこだけをゴールにしちゃうと、

いつかは楽しさよりも疲れが先に来てしまう。

この写真じゃこれしかいいねがもらえない。

こんなツイートじゃ全然リツイートされない。

 

結果的に、インスタをやめて、ツイッターもやめて、

自分を発信するチャンスを、自ら絶っていく。

 

でも、すごくもったいない。

これだけ自由に発信できる機会が転がっているのに、

手段と目的を履き違えて活用しないのって、

5年後の自分に対してもったいない。

 

だから僕はブログを続けていた。

更新頻度が何ヶ月に一回だとしても、

それによってせっかく増えた訪問者がどんどん減っていったとしても書き続けた。

 

僕が書き続ける目的は、

訪問者を増やすことでも、いいねをたくさんもらうことでもなかったから。

 

いつかそのブログを読み返した時に、

少しでも当時の自分から気づきを得られると思っていたから。

 

きっと、発信者になるチャンスが増えたからこそ、

人はチャンスを無駄にしたくない気持ちの方が大きくなってしまったんだと思う。

 

でも、大丈夫。

ぶっちゃけそんなにセンスないから。

ふつーに生きてきて、ふつーの生活している人から生まれ出るものに、

そんなに輝くものなんてそうそうないから。

僕も、君も、そこまで変わらないから。

 

もっと気軽に、自分の足跡を残していこうよ。

その足跡の形に、共感してくれる人がいればそれでいいじゃん。

いいね欲しさに、無理やりビッグフットの足跡を作る必要なんかないよ。

 

むしろ、過去の自分の足跡を振り返った時に、

何かを感じることができさえすれば、発信し続けた意味はあると思う。

ブログとか、ツイッターとか、インスタとか、

5年後の自分に向けた成長記録なんじゃないかなって。

 

そんなことを考えた、お盆やすみ。

今週のテーマ:昔のことを思い出していた ①

昔のことを思い出していた。

 

今は丸くなったよねと言われることが増えた。

それは、体型のことだけじゃないと思う。

昔はもっと尖っていたんだと思う。

それは、もちろん体型のことだけじゃなくて。

 

世の中に噛みついていたし、周りの人間にも噛みついていたし。

どれだけ空気が読めなくても間違っていることに迎合することなんてなかった。

後先を考えずに、周りの人間の評価なんて顧みずに、

自分なりに芯を通してまっすぐ生きてきたつもりだった。

 

社会の空気を読む、という大義名分を掲げて、

自分を殺して生きながらえるだけの腐った大人にだけはならないつもりだった。

 

いつからなんだろう。

そんな大人をバカにできなくなったのは。

 

あの人も、ああ見えて苦労しているしな。

ここでこういう発言をしたらあとあと面倒臭そうだな。

これでも、俺は精一杯やっているんだ。

 

いつからなんだろう。

そういう大人の一部になってしまったのは。

 

人は、大抵歳を取るごとに経験するものが増えていく。

人生経験というものが増えていき、刻まれるものも増えていく。

それが、大人になるということなら、

昔の僕なら喜んで子供のままを受け入れていたはずだった。

 

それなのに、今ここで社会にかろうじて順応して、

あるいは順応しようとしている僕は、

あの時絶対になりたくないと思っていた大人に片足を突っ込んでいるような気がしてならない。

 

それが社会から求められていることであって、

社会で生きるために必要なことだということは十分わかったうえで、

そんなクソみたいな生き方をしていてはいけない、と自分自身に警鐘を鳴らそうと思う。

 

だって、大人になんかならなくてもかっこいいおっさんになれるはずだもの。

 

世の中の大多数の人が歩くレールの上に乗らなくても、

人は生きていけるはずだから。

 

時に、それはクリエイターと呼ばれ、

アーティストと呼ばれ、アウトローと呼ばれ、先駆者と呼ばれ、革新者と呼ばれる。

 

そんな人たちが、生きてきたように。

僕は、もう一度振り返らないといけない。

ここ数年の自分の生き方を。

そして、自分自身が思い描いていた5年後を。

 

クソカッコイイおっさんになるためなら、

世の中で後ろ指を指されるような人生、喜んで進んでまいります。

それでは、引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

 

敬具

レシートはエロい

結局、非日常がエロさにつながると思う。

 

パンチラしかり、露出しかり。

日常の中で普段目にする(行動する)ものはエロの対象になりにくい。

だからアフリカの現地民族がおっぱい丸出しで生活していてもエロさは感じない。

 

レシートのエロさは、そこに由来すると思う。

 

レシートが持つ非日常性

普通に生きていて、他人のレシートを見ることって少ない。

よっぽど頭のネジが外れたやつじゃない限り他人の財布に触ることはないし、

そこからさらに財布を開いて中身を見るようなやつはが近くにいるなら、

早く縁を切った方がいいと思う。

だからたぶん、さらに一歩進んだド変態じゃないと日常的に他人様のレシートを拝見することなんかないということです。

 

あと最近はレシートを貰う人が少なくなっていることも大きい。

コンビニとか行っても、レシートくれなくなったじゃないですか。

あれって必要としている人が少なくなったからですよ。

コンビニアルバイト時代はレシートを頑なに受け取らないおっさんにも、

返品の為とかにレシートを無理やり渡していた僕ですが、 

今はレシートがいるかいらないかすら聞かないですからね。

それもどうかと思うんですけど。

 

まあ、そんな話は置いといてそれくらいレシートって今はレアになってきているんですね。

ポケモンGOで言ったらモンジャラくらいのレア度ですね。

 

レシートが語るパーソナリティ

レシートの何がエロいって、購入した本人が語らずともその人の嗜好性と趣味をさらけ出してくれることですよ。

だからね、雑貨屋とかスタバとか、そんなおしゃんな店のレシートなんかこれっぽっちもエロくない。

できるだけ日常に近いところの店でのレシートがいいですね。

それこそコンビニとか。

例えば普段コンビニでサラダチキンとか、ドリアとか買ってオフィスで食べてる女の子が、

会社からの帰り道のコンビニではがっつりカップラーメンとかビールとか買ってたらちょっとギャップあるじゃないですか。

そういう感じがあればあるほどいいですね。

TSUTAYAで借りたDVDのラインナップがまったりラブロマンスじゃなくて、「死霊のはらわた」「ダイハード」「SAW」とか、そんなのレンタルしてる子ってちょっといいじゃないですか。

そんな感じ。

 

レシートが教えてくれる生活感

あとね、一定期間分のレシートとか、複数枚にわたるレシートは

読み込んでいくと生活スタイルが見えてくる。

例えばコンビニのレシート3枚でも、だいたい何時くらいに帰ってきてるのかとか。

休みの日のレシートが5枚あれば、どんなところに遊びに行くのかとか。

ストーカーってこういうところも抜かりなくチェックしているんでしょうか。

ストーカーがゴミ袋を漁る理由ってそういうところにあるのかも。

いろいろな持ち物からその人を知るというか、想像していくというか。

ただの紙っぺらが何枚も集まると人の生き方が見えてくるってちょっと面白くないですか。

 

 

 

そう考えるとレシートってすごくないですか。

これ絶対流行ると思うんだけど。

レシートフェチみたいなのいないのかな。

 

ちなみに僕は微塵も興味ないですからね。ほんとに。

人のレシート見ても興奮しないですから。

でも、気になってる女の子のレシートが合法的に見られる状況があったら、

間違いなく見ますけど。けど、絶対興奮しない。だから大丈夫。

国語ができるようになるために必要な10の方法。

大前提として

国語に必要なことは、センスではない。

センター試験も、中学のテストも、マークシート形式も、記述式も、

国語の問題の解き方なんてすべて一緒だ。

 

それさえわかれば、あとは脳みその訓練次第で現代文なんて満点がとれるようになる。

 

だから、

日本に生まれて、日本で育ち、日本語を毎日何時間も扱い、

日本語を使ったコミュニケーションに長けているはずなのに、

クソほども国語ができない人にこそ、読んでほしい。

 

国語ができるようになるために、センスというものは微塵も必要ない。

だから、国語がクソほどもできない人にこそ読んでほしい。

 

■そもそも、なぜ「国語はセンス」と言われるようになってしまったのか。

それは、英語や数学や社会とは違い、

国語は日本語そのものが対象だからだ。

国語の多くは日本語を扱う。

日常的に触れているモノだからこそ、 「これができないなんてセンスがないね」

といった話になってしまう。

数学も算数の延長上で「センスがないね」と言われてしまうのも

小学生よりも前から触れている数字というものを扱っているのが要因だと思う。

(もちろん、数学にもセンスなんていらないと思っている)

 

でも、何も心配いらない。

センスという不確定な要素に頼らず、少しでも国語の点数を上げようと努力する人には

きっと国語の神様も微笑んでくれる。

 

国語の問題を解くのに必要なことはたった一つ。

すべては論理であり、解法があり、答えが書かれている文章の中から答えを探すだけの作業だと言うことに気づくこと。

それだけで国語ができるようになる。

 

簡単に説明するために、

国語ができる=センター試験で9割程度とれることと仮定しましょうか。

 

国語科目は200点満点。

その内訳は

・現代文100点(評論・小説)

・古文50点

・漢文50点

というものですね。

 

つまり、古文・漢文よりも現代文の比率が高いので、

必然的に現代文の勉強の割合を増やし、得点を稼ぐ必要があるということ。

こんなことにも気がつかず、半ば暗記科目同然の古文や漢文の勉強に身を捧げているのであれば、とっとと目の前の参考書を破り捨てて、現代文の参考書を3冊買ってきて取り組み始めた方がよっぽどいい。

 

もちろん、古文も漢文も単に覚えるだけではない。

高得点をとるための方法はあるけど、そんなもの自分で探してほしい。

 

僕が伝えたいのは現代文ができるようになるための準備と、その方法だけです。

なぜなら国語に苦手意識を持っているほとんどの人が

現代文に嫌悪感やアレルギーを示すから。

 

 

でも、わかります。

なぜなら僕は化学とか物理とかザ・理系科目に対して全く同じ反応をしちゃうから。

だって化学も物理もわけわからない数式とか単位とか出てきて、

実際のもののイメージが全くできないんですもん。

 

つまりね、得体の知れない物感が半端ないんですよね。

暗闇にたたずむコートを着て下を向いている女くらい得体の知れない物感。

怖いんですよ。

 

だからといって、落ち込む必要は全くありません。

得体の知れない物に苦手意識を持つのは、それが得体の知れない物だからです。

相手が何者か、そしてどんな対処をすればいいのかがわかっていれば、

まるで怖くない。

コートの女も実は君のストーカーで、その正体は隣の隣のクラスの目立たない○○ちゃんだったとしたら、

その怖さはある程度軽減されるでしょ。それと一緒です。

でもそんなことするクラスメートがいたら刺される前に逃げてください。

 

■まず、国語を知ってほしい。逃げないで知ってほしい。

相手を知る=対策がわかる=解けるようになる=得意になる

です。

 

ここからが本番。

現代文を解くにあたって大事な要素があります。

①答えはすべて問題の中に書かれているということ

②答えを導く方法はセンスや勘ではなくすべて論理(ロジック)であるということ

③漢字問題などを除き、基本的には勉強なんかしなくても解けるようにできているということ

 

この3つだけです。

 

 

■そもそも、なんで日本語なのに解けないんだろう。

 

てか、国語の問題文って文章読みにくくないですか。

特に評論。クソ長ったらしい言い回しで、クソみたいにわかりにくい用語を使って、

クソほど興味もないことについて語ってる。結局結論を読んでみればやっぱりクソだった、なんてことはよくあります。

評論とは、そういうものです。

だけどね、評論こそ全科目のうち最も優しい問題です。ツンデレ問題。

一見難しく見えるけど、全部あのクソ長ったらしい問題文の中に答えを書いているんだもん。公的に許されたカンニングですよ。

 

じゃあいよいよ行きましょうか。

国語ができるようになるための10の方法。

 

今年(平成28年)実施された国語の問題を例にとりましょう。

平成28年度本試験の問題|大学入試センター

ダウンロードはおのおのしてください。

 

さあ、国語の偏差値を上げる必勝法を学ぼう。

 

 国語ができるようになるために必要な10の方法。

 

 

 

①問題文は全部読まない

 

あ、問題を読むときに気をつけてほしいんですよ。

国語が苦手な人に限ってね、全部の文章を読みたがるんですよ。

あほか。その読み方を今日からやめてください。

そして、今から書く読み方を徹底してください。

 

②設問を読む

 

まず、設問を読む。

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ここで言うと「問2 傍線部A~~」の部分。

はい、読み終わったらそこでストップ。

国語ができない人は選択肢を絶対読まない。

選択肢を読まない理由は2つ。

1,選択肢をすべて読んで頭に入れられるほど人の記憶力は確実でないから、

  結局もう一度よむはめになる。つまり時間の無駄。

2,センター試験を作っているのは今これを読んでいるあなたよりも

  確実に国語のできる人であり、

  各科目はおおよそ平均点が満点の六割になるように調整しなければならない。

  そのため、選択肢は迷いが生じるように作られている。

  それを見て迷うのは意味がない。つまり時間の無駄。

 

わかりました?選択肢なんて読む必要ないですよ。最初はね。

なれてきたらある程度体系化できるのと、後半の部分を解くためには読むのもありです。

でも国語の点数がとれなくて偏差値が60行かないような人は読む必要はない。

あなたがするべきことは、設問で何を聞かれているのかを理解することだけ。

ここでは【「リカちゃんの捉えられ方が変容している」こととは、どういうことか。】

を理解する必要があるんだ~そんな認識でいいです。

 

③設問の意味を理解する

意外とこれが大事。馬鹿にしないでやってほしい。

一つ一つ設問のワードを細分化して、自分の言葉でしっかりと言い換えられるようにすること。

たとえば、

・リカちゃん・・・リカちゃん人形ですね。間違いなく。

 

・捉えられ方・・・考え方、認識、みたいなものです。

・変容・・・変わってきたということでしょう。

 

こんな感じで、百パーセントの正解でなくても、

自分で租借できるようにしておかないと設問の意味を取り違えます。

意味を取り違えると、選択肢を選び間違えます。

 

④設問に該当する傍線部分を読む

問題文を読んだら傍線部Aを本文中に探しましょう。

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はい。

 

ここまでは誰でもできます。

 

⑤傍線部を見つけたら、傍線部が含まれる一文を読む

国語ができなくてもこれくらいはわかります。

 

日本語のいいところは始まりと終わりがわかりやすく書かれていることです。

段落の終わりもそうだし、文章の区切りもそうです。

だから傍線部が含まれる1文すべてを読みます。

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⑥傍線部を見つけたら、傍線部が含まれる一文を理解する

 

やっと問題を解くフェーズです。

これもさっきの③設問の意味を理解すると同じように、一文すべてを理解します。

また、この一文に注釈が入っている場合はそれも読みます。

 

・これは・・・?

・評論家・・・こんな感じの評論を書いたり、テレビで評論したりする人でしょう

伊藤剛・・・注釈によると「漫画評論家」

・整理にしたがう・・・評論家の伊藤さんの言っている考え方にのっとるなら

・特定の物語を背後に背負う・・・?

・キャラクター・・・リカちゃん人形やミニーマウスのこと

・その略語としての意味・・・?

・脱却・・・抜け出す、みたいなイメージですかね

・転用可能・・・あてはめることが可能とか、代替可能くらいのイメージで十分です

・プロトタイプ・・・注釈によると「原型、基本型」

・キャラ・・・キャラクター

 

こんな感じです。

ここで気づいてほしいのは、
傍線部が含まれる一文を読んでも、理解できないことがある、ということ。

 

つまり、

「これは」「特定の物語を背後に背負う」「その略語としての意味」という部分をしっかりと咀嚼できないかぎり問題は解けないと言うことです。

 

これが国語を解く上で最大に難しい部分であり、

最大のヒントでもあります。

 

⑦わからない部分を本文中から探し出す

 

では、一つ一つ見ていきましょう。

 

まず「これは」の部分。

多くの国語の問題は、問題文にまるまる傍線が引いてあることはありません。

そのため、一文をすべて読み込む必要があり、そうすると80パーセントくらいの確率で

「これ」「それ」といった指示語に出会います。

そして、指示語はたいていの場合「これ」「それ」と使われている文章よりも前の文章を指します。

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つまり、「これ」は

「自身がキャラクターであるはずのリカちゃんが、まったく別のキャラクターになりきること」と言い換えることができます。

 

⑧文章を咀嚼する

でも、

「自身がキャラクターであるはずのリカちゃんが、まったく別のキャラクターになりきること」といってもちんぷんかんぷんですね。

そういう場合はもっと前の文章にさかのぼりましょう。

その前に、必ずやってほしいのがさっき伝えた文章を咀嚼するということ。

この文章はわかりやすく言うと「リカちゃん自身がキャラクターであるのに、全く別のキャラクターになりきっている」ということですね。

 

それがそもそもどういうことかというと、

その前の文章とイコールの関係です。

 

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キャラクターであるリカちゃんが別のキャラクターを演じるとは、

「平成に入ってからのリカちゃんは、その物語の枠組みから徐々に解放され、現在はミニーマウスやポストペットなどの別のキャラクターを演じるようになって」きたということです。

 

はい、また出てきましたね。

「その物語」。

それでは「その物語」に対応する単語を見つけましょう。

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これはその一文前の中にある「その物語」に対応しています。

7行目の「その物語」=5行目の「その物語」です。

で、5行目の「その物語」は何を表しているかというと、

まさにその直前の文章です。

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つまり、

5行目の「その物語」=「リカちゃんの父親や母親の職業、兄弟姉妹の有無など、その家庭環境においても発売元のタカラトミーが情報を提供し、設定された中での物語」

ということですね。

この中でいう「その家庭環境」というのは「リカちゃんや家族との間の家庭環境」というのはわかりますね。

 

それでいくと、7行目の「その物語」についてもわかりました。

そうすると、「平成~なっています」の青線部分はこういうことです

「平成に入ってからリカちゃんは、タカラトミーが本来情報を提供し、設定していた家族構成や家庭環境といった物語の枠を超えて、ミニーマウスやポストペットを演じるようになった」ということです。

そして、ここまで読み解けると次の「自身が~なりきる」の青線も理解できるようになります。

リカちゃんは本来、一家庭に所属する普通の女の子という設定でした。そのため、設定上ミニーマウスやポストペットになりきる必要は全くないんですよ。

それが平成になってからは全く必要のない別のキャラクターを演じるようになった、ということですね。

 

そうすると、さっきまではてな状態だった部分が埋まります。

・これは・・・「平成に入ってからリカちゃんは、タカラトミーが本来情報を提供し、設定していた家族構成や家庭環境といった物語の枠を超えて、ミニーマウスやポストペットを演じるようになり、本来キャラクターであるリカちゃんが別のキャラクターになりきるようになったこと」

・評論家・・・こんな感じの評論を書いたり、テレビで評論したりする人でしょう

伊藤剛・・・注釈によると「漫画評論家」

・整理にしたがう・・・評論家の伊藤さんの言っている考え方にのっとるなら

・特定の物語を背後に背負う・・・?

・キャラクター・・・リカちゃん人形やミニーマウスのこと

・その略語としての意味・・・?

・脱却・・・抜け出す、みたいなイメージですかね

・転用可能・・・あてはめることが可能とか、代替可能くらいのイメージで十分です

・プロトタイプ・・・注釈によると「原型、基本型」

・キャラ・・・キャラクター

 

そうするとですね、何か気づきませんか?

物語という言葉が出てきて、はてな状態だったモノ。

そうです、もう一つのはてなだった

・特定の物語を背後に背負う・・・?

も埋まるんですね。

 

・これは・・・平成に入ってからリカちゃんは、タカラトミーが本来情報を提供し、設定していた家族構成や家庭環境といった物語の枠を超えて、ミニーマウスやポストペットを演じるようになり、本来キャラクターであるリカちゃんが別のキャラクターになりきるようになったこと

・評論家・・・こんな感じの評論を書いたり、テレビで評論したりする人でしょう

伊藤剛・・・注釈によると「漫画評論家」

・整理にしたがう・・・評論家の伊藤さんの言っている考え方にのっとるなら

・特定の物語を背後に背負う・・・たとえばリカちゃん人形のようにおもちゃメーカーなどが本来情報を提供し、設定していた家族構成や家庭環境といったそのキャラクターならではの物語を背後に背負う

・キャラクター・・・リカちゃん人形やミニーマウスのこと

・その略語としての意味・・・?

・脱却・・・抜け出す、みたいなイメージですかね

・転用可能・・・あてはめることが可能とか、代替可能くらいのイメージで十分です

・プロトタイプ・・・注釈によると「原型、基本型」

・キャラ・・・キャラクター

 

オッケーですか?

ここまで来ればあともう少しです。

 

⑨咀嚼しきれない場合は前後の文章を読み込む 

もう一つはてながありますね。

・その略語としての意味・・・?

 

という部分です。

 

これを解明するために、さっきの緑線の手前を読んでいきます。

 

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 重要そうなところに黄色線を引きました。

要約すると、

「1967年に初代リカちゃんが出て、現在まで世代を超えた人気国民的キャラクターになっている。それはまさに国民的アイドルとも言えるくらいの人気っぷりだ。そして、それまでのリカちゃんは子供にとってはあこがれの生活スタイルそのものだった」

ということと、

「現代になってその捉えられ方が変化している」

ということです。

 

つまり、

・その略語としての意味・・・「リカちゃん人形を憧れの生活スタイルとして捉えていたという意味」

 

となります。

これですべてわからないことは出そろいました。

・これは・・・平成に入ってからリカちゃんは、タカラトミーが本来情報を提供し、設定していた家族構成や家庭環境といった物語の枠を超えて、ミニーマウスやポストペットを演じるようになり、本来キャラクターであるリカちゃんが別のキャラクターになりきるようになったこと

・評論家・・・こんな感じの評論を書いたり、テレビで評論したりする人でしょう

伊藤剛・・・注釈によると「漫画評論家」

・整理にしたがう・・・評論家の伊藤さんの言っている考え方にのっとるなら

・特定の物語を背後に背負う・・・たとえばリカちゃん人形のようにおもちゃメーカーなどが本来情報を提供し、設定していた家族構成や家庭環境といったそのキャラクターならではの物語を背後に背負う

・キャラクター・・・リカちゃん人形やミニーマウスのこと

・その略語としての意味・・・「リカちゃん人形を憧れの生活スタイルとして捉えていたという意味」

・脱却・・・抜け出す、みたいなイメージですかね

・転用可能・・・あてはめることが可能とか、代替可能くらいのイメージで十分です

・プロトタイプ・・・注釈によると「原型、基本型」

・キャラ・・・キャラクター

 

導き出した情報をもとにもう一度傍線部全体の一文を読んでみましょう。

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⑩選択肢は「本文に書かれているか・いないか」だけで判断する

 

 

ここまで来れば得た情報を当てはめて、咀嚼して、

設問の選択肢から正解を導くだけですね。

 

では選択肢です。

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1つ1つ見てみましょう。

 選択肢を読む際にあなたの主観や意見や推測は全く必要ありません。

そんなもの試験で役に立つことは永遠にないのでごみ箱に捨ててください。

 

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各選択肢の

青線=本文で言っていること

赤線=本文で言っていない、間違っていること

です。

 

選択肢①・・・すべて言っていますね。特に後半部分が本文ではそのままの言葉で言っていないのでひっかかりやすいかもしれないですが、「どんな物語にも転用可能なプロトタイプを示す言葉となったキャラへと」変わったといっています。よって

 

選択肢②・・・「ごっこ遊び」に使われることで、変わったわけではありません。その後の後半部分も本文では触れていません。よって×

 

選択肢③・・・遊び道具としての意味を逸脱、なんて言っていません。また国民的アイドルといえるものにこのタイミングで変わったわけでもありません。よって×

 

選択肢④・・・後半部分は本文中では触れていません。よって×

 

選択肢⑤・・・後半部分は本文中では触れていません。よって×

 

つまり、正解は選択肢①ということです。

 

一応答え合わせ。

  

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はい、合ってますね。

 

まとめると、

 

 国語ができるようになるために必要な10の方法。

 

 

ということです。

 

どうでしたか?

これが国語ができるようになるためのたった10の方法です。

何度も言うようですが、評論も、小説も、センター試験も、中学国語のテストも、すべて同じ流れで問題を解くことができます。

 

最初は時間がかかってしまうのは仕方ないので、

納得できるまで問題と向き合い、徹底的に咀嚼してください。

 

いうなれば、国語は咀嚼です。

自分の言葉で理解して、説明できる状態になれば評論にアレルギーが出ることもないでしょう。

 

ぜひ、これをきっかけに国語を少しでも好きになってもらえればと思います。