共感を生む発信とは、ビッグフットの足跡を作る行為ではない。
成長について、思うことがある。
過去の自分を振り返って見て、どんな感想を持つことができたら、
今の自分は成長してると言えるんだろう。
ブログって、
そういう意味だとすごく客観性を持って過去を振り返れるツールだなと思う。
その当時、自分が考えたこととか、思ったこととかを文章にしていることで、
今の自分と究極的に第三者視点で比較できるから。
もちろん、昔の日記を見返すのが恥ずかしいように、
過去のブログを見返すのってすごく勇気がいるんだけど。
僕は、7年前から続けているブログがある。
不定期に写真を載せたり、文章を書いたりしているブログがある。
頻度も毎日更新することもあれば、
数ヶ月に一回くらいしか更新しないこともある、すごく適当なブログなんだけど、
それでも7年間やめないで続けてきた。
最近、ブログに限らず、色々なところで普通の人が発信者になる場面が増えたと思う。
SNSが身近になって、クラウドソーシングも発達して、
プロもアマも関係なくなって、誰でも世の中の人に支持される環境ができた。
人間って基本的には「認められる」ことに対して、
ポジティブな感情を抱く生き物だから、そうした環境の変化で、
多くの人がフォロワーからリーダーになるチャンスを活かそうとしている。
だって、インスタやツイッターには、芸能人でも有名人でもないのに、
フォロワーが10万人以上いる人がわんさかいるんだもん。
自分の投稿一つに、何千のいいねがつく感覚って、
この時代にならないと絶対に味わえなかった感覚なのに。
それが、今はできるようになっている。
だから、多くの人がそこを目標にしている。
インスタバエとか揶揄されているけど、
どれだけインスタ映えするものを投稿して、
どれだけいいねもらえるか。
どれだけ共感を生むツイートをポストして、
どれだけリツイートされるのか。
そこに焦点があたるのは仕方ないんだと思う。
それって、ある種の射幸心のあらわれだから。
だけど、そこだけをゴールにしちゃうと、
いつかは楽しさよりも疲れが先に来てしまう。
この写真じゃこれしかいいねがもらえない。
こんなツイートじゃ全然リツイートされない。
結果的に、インスタをやめて、ツイッターもやめて、
自分を発信するチャンスを、自ら絶っていく。
でも、すごくもったいない。
これだけ自由に発信できる機会が転がっているのに、
手段と目的を履き違えて活用しないのって、
5年後の自分に対してもったいない。
だから僕はブログを続けていた。
更新頻度が何ヶ月に一回だとしても、
それによってせっかく増えた訪問者がどんどん減っていったとしても書き続けた。
僕が書き続ける目的は、
訪問者を増やすことでも、いいねをたくさんもらうことでもなかったから。
いつかそのブログを読み返した時に、
少しでも当時の自分から気づきを得られると思っていたから。
きっと、発信者になるチャンスが増えたからこそ、
人はチャンスを無駄にしたくない気持ちの方が大きくなってしまったんだと思う。
でも、大丈夫。
ぶっちゃけそんなにセンスないから。
ふつーに生きてきて、ふつーの生活している人から生まれ出るものに、
そんなに輝くものなんてそうそうないから。
僕も、君も、そこまで変わらないから。
もっと気軽に、自分の足跡を残していこうよ。
その足跡の形に、共感してくれる人がいればそれでいいじゃん。
いいね欲しさに、無理やりビッグフットの足跡を作る必要なんかないよ。
むしろ、過去の自分の足跡を振り返った時に、
何かを感じることができさえすれば、発信し続けた意味はあると思う。
ブログとか、ツイッターとか、インスタとか、
5年後の自分に向けた成長記録なんじゃないかなって。
そんなことを考えた、お盆やすみ。