−R5− 世の中を歩き回るブログ

頭を使って歩こう。朝まで歩こう。5年後の自分に向けた備忘録。

なんで人は、他人の退職話が気になるんだろう。

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なんで、退職エントリが人気なんだろうと考えてみた。
退職エントリとは、主に有名企業や大手企業を退職した(する)人が、退職理由や、会社への不満や、自分のスキルや、申し訳程度に前の会社への愛を語る記事のことだ。
退職エントリのみ、まとめるサイトもあるくらいこのジャンルは確立していて、人気がある。
https://taisyoku.company/

なぜか。
1つは、知っているものの知らない側面が知れるからだ。簡単に言えば野次馬根性をくすぐられるから。例えば、同僚の良くも悪くも意外な一面を知ったり。例えば、芸能人が隠そうとしていたスキャンダルを知ったり。例えば、情熱大陸でプロフェッショナルの知られざる側面を知ったり。こうした「なんとなくわかっているつもりの人やモノの知らなかった部分」を知ることは、人にとってものすごく快感だ。だから、大手企業や有名企業の退職エントリほど、人気が出る。名前を知っていたり、どんな企業かイメージがついている分、実際に働いている人が語る実情は人の財布をこっそりのぞくような好奇心があおられるんだと思う。

2つ目は、書き手がその企業の人じゃない(あるいはもうすぐそうなる)からだ。たぶん、ヤフーの中の人が、ヤフーの素晴らしいところを語るより、ヤフーをやめるひとが、やめる前に同じことを語るほうが、読みたくなるだろう。グリコの人が、グリコの「こんなところが嫌だ」を語るより、グリコをやめて明治に行った人がグリコの嫌なところを語るほうがききたくなる。おそらく、退職という出来事によって、表面上は利害関係のなくなった人という、第三者性が担保される(と外からは見えるから)だと思う。これによって、その人が語っている言葉が客観性に満ち溢れた真実のように感じられる。その瞬間、全く根拠がないのにその人の記事はジャーナリズムにあふれているノンフィクションのように感じられてしまう。そうすると、退職エントリは取材も裏付け調査も必要としないのに、信ぴょう性がぐっと高まる。

3つ目はなんだろう。人の不幸は蜜の味みたいな感覚かな。それとも、普段の生活ではあまり聞けない話を覗く背徳感?あるいは、単純な知的好奇心だろうか。これらすべてが含まれていて、さらにいろいろな要素もあるとおもう。

こんな感じで退職エントリについて考えていくと、
こんな〇〇エントリ読んでみたいな、と思うようになる。メカニズムが一緒なものは、絶対に面白いと思う。例えば、「失恋エントリ」。特に、振る側のやつ。振る側の失恋エントリはものすごくデリケートな話題だからこそ、読んでみたい。

ところで僕自身、退職エントリが好きだ。はてなのトップページにそんなタイトルを見つけてみれば、結構な頻度で読んでしまうし。入社したことのない会社の裏側を知れるのはすごく楽しい。でも、ひとつだけ気になることがある。気になるというか、退職エントリというジャンル読み物の苦手なところかもしれない。

それは、ほとんどの執筆者が必ずと言っていいほどやる「かつての職場のフォロー」。さんざんやめるに至った理由や、会社のハテナを書き連ねた後に「とはいっても、僕は〇〇が大好きでした。最高の仲間に恵まれ、尊敬できる上司と出会えなんちゃらなんちゃら。」あるいは、退職エントリ冒頭の「こんなタイトルですが、嫌で会社を辞めたわけではありません。今回私が会社を辞めた理由はなんちゃらなんちゃら」みたいな、意味の分からないリスクヘッジ

僕は、このリスクヘッジだけが苦手だ。
それは、僕が考える「会社を辞めること」とこのリスクヘッジが矛盾しているからかもしれない。
個人的に、最大限リスクヘッジをして言うけど、あくまでも個人的に。会社を辞めるということは、ポジティブにせよネガティブにせよ、その会社に残る理由がなくなったからだと思っている。スキルアップも、人間関係に悩んだでもいいけど、会社を離れるということはそういうことだ。それなのに、前の会社のフォローをわざわざ入れるって、ものすごい違和感しかない。

例えば、恋人と別れた人がいる。その人が別れた理由を長々書いていって、最後に「でも、あの人のことが嫌いになって別れたわけじゃないんだ★ものすごく尊敬しあえるパートナーだったし、素敵なひとだった!ただ、僕が私が目指すなんちゃらなんちゃら~」って書いてあるような違和感だ。

 

いや、別れたやん!!

 

最後にどれだけフォローしても、別れた事実は変わらないやん!と突っ込みを入れたくなる。そんなフォローは、別れた人のためではなくて、明らかに自分の保身のためでしかない、と感じてしまう。僕はひねくれものだから。だからね、毎回毎回だいすきな退職エントリを読みながら楽しいなー、なるほどなーって思いつつも、心のどこかで

 

いや、辞めたやん!!

 

と思いながら読んでいる。

それでも僕は、今日も人の退職話を熱心に読んでしまうのだけれど。

肩の亜脱臼癖がついた理由については、

3733010r5.hatenablog.com

で書いた通り妹を殴ろうとした拍子に、勢い余って外れてしまったからだ。

それからというもの、合計で20回以上は肩が外れ続けていたと思う。自業自得という議論はいったん置いておいて、僕の大事な方の話をしようと思う。もちろん、それまでも整形外科にかかったものの、根本的な治療は手術をすることでしかできない、と聞かされていた。

ただ、手術をしないまでも肩を外れにくくする方法というのはあるらしく、インナーマッスルを鍛えることで、それが可能になるときいた。何回か挑戦してみたものの、いまいち目に見える効果が表れにくく、ふとした振りかぶりの動作で外れることが継続していたので、インナーマッスルを鍛えるのは嫌になってしまった。

そもそも肩が外れる、というのはどういうことか。
簡単を極めて言えば、腕の骨が通常の位置からずれてしまう状態だ。例えば、あなたの右手を握りしめてこぶしを作ってほしい。そのこぶしを覆うように左手で覆う。この状態が、通常の腕の状態。右手が腕(肩)で、左手が肩甲骨。

この正常時から、右手がボコッと外れてしまうのが脱臼。

一方で亜脱臼は、外れはしないけど、正常時からずれてしまっている状態。僕はこの亜脱臼の癖がついてしまっていた。亜脱臼と脱臼の最大の違いは、自然と治るかどうかだと思う。
脱臼は完全に外れてしまっているので、医師なり、自分なりで整復しないと元には戻らない。だけど、亜脱臼はいわば「外れかけ」の状態なので、痛いのを我慢し続ければ自然と元の位置に戻る。逆に言うと、自分で元に戻す方法がわからないから、自然と治るまで悶絶し続けてしまう。経験した人にしかわからない痛さだと思うけど、無理やり例えるならタンスの角に足の小指をぶつけた痛さの10倍の痛みが肩にある感じ。長い時だと5分くらい。

こんな爆弾を抱えながら、10年くらい生きてきた。なるべく振りかぶるような動作を避け、腕を早くうごかすような生活はせずに。それでも、不注意や予期せぬことで肩は外れてしまう。何度も手術をしようと思ったけど、やはり実行に移せなかった。その理由は大きく3つある。

1つは、手術をするためには入院をしなければいけないこと。
大体術前入院で1日、手術から退院まで3~4日。合計で5日間ほど入院する必要がある。もちろんその間、学校や会社には行けない。絶対安静なので、メールも手術をしていないほうの腕でしか打てない。デスクワークなんてもってのほかだ。これは、かなりの障壁だった。社会人にとって1週間を休むというのはかなりハードルが高い。

2つめは、退院後の制限だ。
手術が終わり、退院できてもその後3週間は三角巾のようなもので腕を固定し続けなければいけない。その間、パソコンはもちろん携帯も触れない。というか、着替えひとつとってもかなりの時間と労力がかかる。手術をした腕は使用禁止のため、力を抜いてだらんとさせた状態でTシャツを着たり、脱いだりしないといけない。

3つめがお金の問題だった。
亜脱臼の手術をするのに、入院から退院までで大体30万円前後かかる。そして、退院後のリハビリや診察でプラス5~10万くらい。(交通費などもろもろ込みで)まあまあな大金をかけなけば、脱臼癖とはおさらばできない。そう考えたときに、人は天秤にかける。40万かけて、脱臼しにくい肩にするか。このまま年を取っていけば激しいスポーツはしなくなるし、体も固くなるので脱臼しにくくなる。だから、この肩と一生付き合っていくか。

この3要素が常に付きまといっていて、手術に踏み切れない期間が続いていた。
ただ、あるタイミングが来て、無事に手術を受けることができた。結果的に言えば、手術を受けてよかったと思う。だから、肩の脱臼で悩んでいる人や、手術を迷っている人に向けて、少し書いていこうと思う。

『美女キャッチ』というクソコンテンツを思いついた。


#あたり前ポエム とか、#ぐる娘 とか、#妄撮 #1フレーズガール とか、世の中にはおもしろいものがあふれているなと思った。



世の中に貢献してたり、してなかったり。

ビジネスなのか趣味なのか。

そんな境目をいったりきたりするようなコンテンツ、僕も作りたい。



くだらなくて、なくても世の中はなにも変わらないけど、

あると少しだけ見た人がハッピーになる。

そんなものを凡人の僕に作れないか考えていた。



無い頭を絞ろうとすると、あまりにもありきたりでクソつまらないコンテンツになってしまう。

せめて「クソコンテンツ」にできないか。



そんなこんなで、

一個だけクソコンテンツを思いついた。



『美女キャッチ』という。



・5秒くらいの動画コンテンツ

・カメラに向かって美女が走ってきて、抱きつく

・バイラルマイクにむかってキャッチコピーをささやく

・広告コピーをささやくだけでもいいけど、「明日のために早く寝たくなるコピー」「疲れた体でも風呂に入ろうと思えるコピー」「歯磨きをサボらないようにするコピー」など、美女の囁きで人のポジティブな行動を誘引したい。

・仕事で疲れている人とか、癒しを求めてる人にきいてほしい。イヤホン推奨。



結構ニーズあると思う。

というか、僕自信がこの動画ほしい。



近々実現させたいんだけど、

誰か一緒にやりませんか。

肩手術を言い訳に、ブログをさぼるのをやめた。

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2月5日に反復性肩関節の脱臼手術を受けた。

右腕を振りかぶったりすると、
その拍子に亜脱臼してしまう状態が8年位続いてた。

きっかけは、妹との喧嘩だった。
詳細は省くけど、簡単に言うと妹をぶん殴ろうとして、
思い切り振りかぶった拍子に一回目の亜脱臼が起きた。

人を殴ろうとして、肩が外れた。相当ダサい。
妹はそれまでの怒りの表情から、
勝手にうずくまる兄を見て「は?」って顔になっていたと思う。
正確には痛すぎて、妹の顔なんか見ていられなかった。

その時から亜脱臼癖がついてしまって、
ボールを投げたり、スノーボードでターンをしたり、
水切りをしたり、バドミントンで思いっきりスマッシュしたり、
トランポリンではしゃいだり、くしゃみしたりするたびに外れてきた。

でも、今回手術できる機会ができたので、
思い切って手術してみた。

手術後は、3日は絶対安静で入院。
その後3週間は固定具をつけて腕は動かせない。
この頃からリハビリを開始するけど、
固定具が外れても、日常生活で極力腕を使うことを避ける。
そんな制約があったのでブログがかけなかった。

もうデスクワークは余裕なのに、
その過去の制約に甘えてブログを書くのをサボっていた。

だけど、もうやめた。
2019年は365本の記事を書くと決めたから。

すでに92日も経つのに、まだ5本しか記事が書けていない。
やばい。
だから、サボるのをやめた。
平均して2日に3本ずつくらい書いていかないと、
絶対間に合わない。
やばい。

だから、再開します。
これは今年六本目の記事。

ちなみに、手術を受ける前に初回の脱臼がいつだったか、なぜ起きたのかきかれるんだけど、人を殴ろうとして外れたなんていえないからキャッチボールで外れた、で通してる。

全然信じてもらえなかったけど。

右半身ばかり怪我をする話。

来週、肩の手術を受けます。

「右反復性肩関節亜脱臼」に関する「関節鏡視下肩関節制動術」という手術です。

簡単に言うと、脱臼癖がひどいのでそれを治すために手術を受けます。

 

思い返せば、僕は右半身によく怪我をする。

ちなみに、結構痛い表現があります。苦手なひとにはすごく嫌な感じになると思います。面白おかしく話してはいるのですが。

 

あれは中学2年の球技大会の日だった。

自転車通学だった僕は、家を出て数十メートルの下り坂で、派手に転んだ。右ひざは制服が破れて血が出ているし、右手のひらはもはや白い肉が見えるほどすりむいている。それでも「球技大会に遅れてはいけない」という思いだけが頭の中にいっぱいになっていて、振り返れば家が見える距離なのに、僕は30分も自転車を走らせた。たまたま日直だったので職員室に日誌を取りに行くと、ぼろぼろの姿を見た先生は「ヒッ」と小さい悲鳴みたいなものを上げつつも、僕を球技大会に出場させてくれた。何としてもその日の球技大会には出なければいけなかった。競技はバスケットボール。クラス唯一のバスケ部員だった僕は、チームメイトから多大な期待を寄せられていた。しかも、対戦相手のクラスにはバスケ部員が2名もいる。僕が出ないとやばい。無事、試合に出れた僕は期待を裏切る活躍っぷりだった。ディフェンスすれば、痛みが走る右足の踏ん張りがきかずにざるのように相手プレイヤーをどんどんと素通りさせ。オフェンスしようものなら、利き手である右手が包帯だらけで使い物にならず、幼稚園児みたいなドリブルをして相手にカットさせ。無事、相手チームの勝利に貢献し、もはや出ないほうがよかったんじゃないかというほどの貢献っぷりだった。

 

例えば、小学5年生の夏休み。

よくある小学生の宿題で、料理を作りましょうというのがあった。自由研究ならぬ自由料理。調理過程や材料、作るうえで何を学んだかを記録する宿題に、僕は冷やし中華を選んだ。これは、ちょうどいい。野菜を切ったり、彩豊かになる割に、そこまで手間じゃない。しかも、夏らしい。ちょうどいい。ちょうどいい料理だからどんどん進んでいく。麺をゆでて、卵を焼いて、ハムを切って、キュウリをスライスするフェーズに移っていた。今でも覚えている。どんどん薄くなっていくキュウリ。角度をかけたり、スライスするところを変えたり。最後の最後まで使い切ろうとしていた。小学生ながらもったいない精神を兼ね備えた優しい日本人だった。でも、その優しさはいつかあだとなる。それが、僕にとってはこの時だったんだと思う。きゅうりをスライスしたと思ったら、右手に激痛が走った。スライサーの下にたまるキュウリとともに、僕の右人差し指の腹の肉が入っていた。マジかよ。もうこのキュウリ使えないよ。確か最初にこう思った気がする。でも、すぐに痛くて泣きはじめた。夜の総合病院に駆け込んで、当直の先生に処置をしてもらった。冷やし中華は、完成しなかった。夏休みの宿題も。

 

そして、再び小学5年生の夏休み。

指を怪我した僕は、毎週のように病院に通った。少しずつ回復していく様子と、感染病にかかっていないかをチェックしてもらうために。夏休みのほとんどを、指の治癒に費やした小学生にとって、その日は最高の日になるはずだった。やっと右手を包んだ包帯が取れて、最後の診察となる日だったんだ。夏休みものこすところあと数日。右手が自由に使える喜びを、童心ながら感じていた。あの瞬間までは。最後の通院の日。車から降りるとき、僕はドアを閉める。車というのは、ドアがついている。だから、降りた後は当然開いているドアを閉める。それがルールだから。でも、僕は頭が悪いので、乗っていた車から降りて、その車のドアを閉める、という作業も満足にできない。車を降りるために、ドアを開ける。そして、外に出る。最後にドアを閉めるときに、なぜか僕は指を挟んだ。今度は右手の中指を挟んで怪我をした。せっかく治りかけていた人差し指の隣の指は、車のドアにつぶされて爪がはがれかけていた。治りかけからはがれかけだ。僕の悲鳴を聞いた母親は、心配よりもあきれた顔をしていた。その日、いつもの先生に駆け込んだら、心配するどころか笑っていた。「そんなに病院が好きですか」って笑っていた。

 

そんなこんなで、いろいろな節目節目で僕は右半身にけがをしている。この右肩の怪我も、その一つだ。でもその話はまた今度にしようと思う。気づいていないときにすりむいたり、切り傷ができているときもある。あ、あとフットサルで小指を骨折したこともあった。こんな怪我ばかりしているので、本当に何か憑いているんじゃないかと疑ったこともある。これからも右半身の怪我が増えていくかもしれないと思うと、恐怖で足がすくみそうだ。

 

ネット人狼が、ビジネスの心構えを教えてくれた話。

一時期、ものすごくブームになった「人狼」というゲームを知っていますか。

知らない人のために簡単に説明すると、3~10数人で構成された「村」があり、プレイヤーはそこの「村人」という設定です。ただ、みんな仲良し争いなんて世界はしらない、ハッピーに生きようよこんな狭い世界なんだし、という環境を脅かす出来ことが起きてしまいます。仲間だと思っていた村人の中に、人間を食らう「人狼」という化け物が存在するというのです。

人狼は村人に化けているため、見た目では全く見分けがつかない。ただ、人狼を追い出さないと毎日(毎ターン)村人が食い尽くされてしまう。人狼は村人に気づかれずに、村が全滅するまで食い尽くしてやるぜ。それまでになんとか人狼を見つけ出し、さらし首にしろ!というゲームです。

 

本来は対面で友達同士和気あいあいと、時には疑心暗鬼になりながら楽しむゲームなのですが、最近はうれしいことに技術が発達しているので、アプリを通じて日本中の人とオンラインで人狼を楽しめるようになっています。これを「ネット人狼(または人狼オンライン)」といいます。

 

7年位前だったと思います。まだ、スマホが今ほど出回っていなくて、アプリもそれほど充実していなかった時代。僕はパソコンを使ったネット人狼に出会いました。定員数とルールが定められたチャットルームのようなところに自由に参加し、定員に達すると自動的に人狼が開始されます。そこからは、もうそのルームにいる人たちだけの村になるわえです。村人はだれか、人狼はだれか、人狼を見つける手助けをしてくれる占い師はだれか、人狼の殺害を防ぐナイトはだれか。最初は暇つぶし程度に初めて見たのですが、意外とはまるもので長いときは3時間くらい画面にかじりついていました。

 

ネット人狼はプロといいうか、常連さんみたいな人がたくさんいて、ネット人狼界でも軽いコミュニティができているほどです。しかも、対面人狼と違って、ゲームをより高度化して、難易度と戦略性を高めるための細かくて複雑なルールがたくさんありました。

 

最初の数ゲームをこなしていく中で、やっと基本的な役割とルールを覚えられるようになり、その後の数ゲームで自分なりに戦略を立てたり、何か策を打ってみたり、とできるようになるわけです。

 

とはいえ、まだまだはじめて数日や数週間のぺーぺー。

ものすごいスピードで流れるチャットや、細かなルールに対応できず、メンバーに迷惑をかけてしまうこともありました。

 

そんな中、僕なりに処世術として身に着けたスキルは、

「僕は初心者なので皆さんに迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」

と最初に宣言してしまうことでした。

ルームのメンバーに周知することで、僕が初心者だと知ってもらうわけです。

そうすると何が起きるか。

 

まず、チャットが遅くても怒られなくなります。そして、少しくらいミスをしても怒られなくなります。さらに、みんなが僕にやさしくしてくれます。

「ルール大丈夫そうですか」「投票(毎ターン終了時にだれを人狼と推測するか投票します)間に合いましたか」など、めちゃくちゃ優しくなります。それからというもの、ゲームは本当に楽しかったです。ときに村人を欺き、ときに村人を守り、そしてときに人狼を見破る。ますます熱中していくわけですよね。

 

ある日、いつものようにルームに入り、メンバーがそろったのでゲームが始まりました。僕にとってはいつもの日常。いつものルールで、いつもと同じように始まる人狼

の、はずでした。

「初心者なので、いろいろ迷惑をおかけしてしまうかもしれません。すみません。でも頑張ります」

定型文のような挨拶をして、さあ楽しもう、と思ったとき。ある村人が返信をくれました。

「初心者ですと名乗るのは、マナー違反です」

びっくりしました。

え?だってルールブックにはそんなこと書いてないし、いままでも何百人とネット人狼やってきたけど、そんなこと言うひと一人もいなかったよ?よくある「自分だけマナー」に違反したからマナー違反とか言ってるんじゃないの?

そのくらいの気持ちでなんて返信しようか悩んでいたところ、

違う村人からも次々と返信が届きます。

 

「確かにそうですね、このルームでは初心者ですと名乗るはやめましょう」

「たまにそういう(初心者だと名乗る)人いて、俺ももやもやしてたんだよねー」

「初心者です、ってずるいよね」

 

え?まじで?

 

納得しきれずに、すでにゲームが始まっているにもかかわらずその理由を聞いてしまいました。

「なんでこれマナー違反になるんですか?僕が初心者なのは事実だし、ルールを忘れていたり、返信や回答が遅れる可能性もあったので最初に言っておこうと思いまして」

 

半ばキレ気味です。それも逆ギレ寄りの。逆半ギレの僕にも、メンバーの方々は丁寧に教えてくれました。「初心者を名乗る」これ自体がマナー違反になる理由を。

 

最も大きな理由は、

【初心者と名乗る玄人が、初心者であることを盾にゲームの公平性を欠くようなプレイをする可能性があるから】

だそうです。

言い換えれば、初心者と名乗れば得られる恩恵を逆手に取って自分の都合のいいようにプレイしてしまうということです。

 

たとえば、

・チャットが遅くても怒られなくなります。→戦略や考え事、人狼同士の秘密トークをしていてチャットで発言できていない場合も、初心者ですといえば許されてしまう。

・少しくらいミスをしても怒られなくなります。→人狼であることを隠すために、故意にミスをしたり、場をわざと混乱させても許されてしまう。

・みんながやさしくしてくれます。→優しくしてくれるということは、疑いの目が向きにくくなるということでもある。

 

こんな風に、初心者と名乗るのは長年プレイしてきた人にとっても大きなメリットがあるのです。

だから、たとえこれが人生で初めてのネット人狼だとしても、初心者だと名乗るのはマナー違反になる。と

と教えてもらいました。

 

でも、僕がこの出来事でもっと大きな学びを得ていました。それは、社会に出て痛感した出来事でもあります。ネット人狼で初心者であることを語るのは、マナー違反になるという話をしてきましたが、それはつまり、お前が初心者であろうがなかろうが、この場のこのゲームにはなんも関係ないんだから、そんな詰まらねえことを場に持ち出してくるなってことなんですよ。

 

初心者であることは、免罪符にならない。

 

ということです。

 

僕は初めて社会に出て、これを痛感する瞬間や場面に何度も出会いました。

新卒1年目だろうが、10年目のベテランだろうが。

この業界に弱かろうが、強かろうが。

この仕事が不得意だろうが、得意だろうが。

クライアントに、ビジネスパートナーに、競合にとって。

それは1mmも関係ない、くそほどどうでもいいことなんですよ。

 

「初めまして、○○と申します。今年入社の1年目です!」なんて挨拶をしていい場面は、先輩からクライアントを引き継ぐときであってもしてはならないんですよ。だって、その人にとってその情報が、何になるんですか。どんなメリットを生むんですか。

ビジネスという土俵に立った以上、初心者は免罪符にならない。それは、ネット人狼でルームに入った以上、初心者が免罪符にならないのと似ている。ビジネスでの心構えは、どこで得られるかわからないんです。さて、これは村人の正直で偽りない昔話か、村人を食い尽くす人狼の単なる嘘か。

 

余談ですが、僕、結構人狼強いです。

機会あればぜひ、いつかお手合わせを。

 

 

 

 

 

 

 

コピーライター「ヤジー」の話。

これは、たった一人のコピーライターが、ある営業の仕事観を変えた話だ。

営業の先輩が3年目のころだった。

 

まだ入社して数年しかたっておらず、バリバリの営業志向だった先輩は、クリエイティブのことを下に見ていた。多くの広告会社がそうであるように、僕の会社もクリエイティブと営業の仲が悪かったのも原因かもしれない。

 

そんな先輩が、初めてクリエイティブの仕事をすることになった3年目。クリエイターとプロジェクトチームを組み、その中にいたのがコピーライターの「ヤジー」だ。

ジーは中途でうちに入社してきて、コピーライターとして広告制作にあたっていた。

一方で先輩はプロパー。なんとなくだけど、仲間じゃない気がしていた。

それでも、広告制作をするのはコピーライターやデザイナーだ。営業である以上、彼らと一緒に仕事をしていくしかない。年次で言えばヤジーのほうが先輩だったし、おとなしく営業としての役割を全うしていた。

 

僕の会社は、広告を作るとなると大抵取材からスタートする。企業や商品、サービスの魅力を、その企業の人から直接聞きだすのだ。多くの場合、コピーライターが取材に同席し、時には取材自体も主体的に進めていく。

今回も同じ進め方で進んでいく。運よく社長にも取材をすることができた。社長のほかにも、社員さんに話を聞いていき、トータルの取材メモはおそらく数十枚にも上っているはずだ。

その中から魅力を見つけだし、ターゲットに響くような言い方でアウトプットしていくのだ。

 

プロジェクトが進んでいき、コピーの初稿アップの日。ヤジーからコピーが届いた。いくつかの案の中で、ひときわ目立つコピーがあった。先輩は驚いたそうだ。まさか、こんなコピーを先方に提案するんですか?って。

詳しいことはここにかけないけど、簡単に言えば企業や仕事・サービス・商品とは何一つ関係ないコピーだった。しかも、切り口も全くこれまでの広告っぽくない切り口。

 

さすがの先輩も、焦った。

「これ、大丈夫ですか?マジでこれ、出すんですか?」

それもそうだった。そのコピーが生まれたのは、A4数十枚の取材メモの中で、社長がたった一言だけしゃべったことからインスピレーションを受けたものだったから。たった1行にも満たないその取材から、ヤジーはコピーを1案作ってきた。

「社長もっといいこと言ってましたよね?別の案考えたほうがよくないですか?」

それでもヤジーは、かたくなにこの案を外そうとしない。

「絶対にこの案が一番いいから。必ず先方にも伝わるはずだからプレゼン頼む」

何度もこのやり取りをして、先輩も折れた。この案を持っていくことにした。

 

プレゼン当日。

朝一のアポにむけ、都内から2時間以上をかけて先方の本社がある群馬県のある駅に向かった。都内の企業とは違い、最寄り駅からも徒歩30分以上かかる場所のオフィスがある。タクシーも使って本社についたとき、そこにはヤジーが立っていた。

「何やってるんですかヤジーさん。どうしたんですか」

ジーは先輩をまっすぐ見ながら、プレゼンに同席したいとお願いしたそうだ。

「やっぱり、あの案を絶対通したい。だから、俺もプレに行かせてくれ」

もちろん交通費は出ない。全部自腹だ。しかも、プレは朝9時から。どれだけ遅くても、朝6時には家を出なければここに立ってはいられない。

 

プレは、無事にうまくいった。あの案は見せた瞬間にOKが出た。社長が即決で通したのだ。だから、言ってしまえばヤジーはいてもいなくても変わらなかった。コピーと企画だけで勝利をつかめるほど、素晴らしいものだったから。それでもヤジーはきた。1万円以上かけて、前日も夜遅くまで残業をしていたにもかかわらず、ヤジーはきた。そして、自分の案の魅力を最大限伝えるためにプレに同席した。

 

それ以来、先輩はクリエイティブへの見方が変わった。クリエイターを尊敬し、チームの一員としてともに協力しあうことを覚えた。先輩はその後も多くの広告制作に携わり、部長を任せられるほど出世した。これは、たった一人のコピーライターが、ある営業の仕事観を変えた話だ。

 

あのとき生まれたコピーは、その年の広告賞を受賞した。